北山王の末裔34代目:祈りは生き方 ― 700年続く家系が伝える沖縄の祈りと命の教え

シングルファザーたーだーが訪れた夫婦岩

ハイサイ!
元中学校教諭でジングルファザー
笑顔と承認の力で世界を明るくする男
愛と調和の薪割職人
アースファーマ(地球農人)
なんくるです。

沖縄県本島北部本部町並里区に位置する実家は村の発祥

本日は僕のルーツをお伝えします。

沖縄県本島北部本部町人口約1万3千人の町で生まれ育ち、地元の地区(並里区)は、世帯数約100世帯、区民約250人の山に囲まれた川の上流に位置する村です。

僕の実家には屋号があり「満名上殿内〜マンナウントゥヌーチ〜」と言います。

屋号とは一門・一家の特徴を基に家に付けられる称号のことである

ウィキペディアより抜粋

実家の後ろには山になっており、タンダ御嶽(ウタキ)と呼ばれる神が降りた場所とされる聖地もあり、代々その地を守る役割を我が家が担っいるという言い伝えがあり、現在でも祭事は執り行っております。
そのためか、区の名前は「本部町並里」僕の苗字も「並里」、一部地域の別の呼び方を「満名〜マンナ〜」、僕の実家の屋号も「満名」が入っております。そして、家のすぐ隣には、「並里神社」もあり、地元の大切な場所として位置づけられています。

神が宿る山を守る家系であり、街の発祥とされる話もあり、僕はそんな歴史ある家系に生まれ、さらには並里家の将来の当主になる予定だと、親親族地域の方から伝えられ育ってきました。
僕にとって実家は誇りです。
そして、周りの方々から沢山の愛をもらい、育ちました。

北山王の末裔

琉球王朝が統一される前の時代のことは、グスク時代・三山時代と言われております。北山(ほくざん)、中山(チュウザン)、南山(ナンザン)の三山時代でした。
そして、言い伝えによると先ほど述べさせていただいた私の実家(屋号「満名上殿内」)は、なんと北山王の末裔であるといういい伝えがあります。約700年前の話が今世まで語り継がれており、私は代34代目当主になるそうです。世も末なら私は北山王だったというわけです。

北山は、かつて本島北部から奄美地方までを支配したとされており、その北山王が拠点していたお城が「今帰仁城跡」とされております。今帰仁城跡の歴史につきましては諸説ありますので、あくまでも私の実家に言い伝えられてきた歴史であるということを、予めご了承ください。

琉球王国のグスク及び関連遺産群

2000年に座喜味城跡、勝連城跡、中城城跡、首里城跡、園比屋武御嶽石門、玉陵、識名園、斎場御嶽、今帰仁城跡の九つの資産が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産リストに登録されました

ここで琉球の歴史について日本の歴史と合わせて時系列で触れておきます。

琉球・沖縄(日本)

旧石器時代(縄文)

貝塚時代(縄文、弥生、古墳、奈良、平安初期)

グスク時代・三山時代(平安後期、鎌倉時代、南北朝時代初期)

琉球王朝時代(南北朝時代後期、室町時代、安土・桃山時代、江戸時代)

琉球藩(明治時代初期)

沖縄県(明治時代後期、大正時代、昭和初期)

アメリカ統治時代(昭和中期)

沖縄県(昭和後期、平成、令和)

700年ある並里家の歴史

700年の歴史が語り継がれており、我が家には「あさぎ」と呼ばれる神屋があります。昔から沖縄は自然に神々が宿り、ご先祖様を崇拝し、拝み事や祭りごとは、生活の一部としてあります。どこの家にもみられる「火の神~ヒヌカン」と呼ばれる台所の神様が代表的な神様です。

700年も続く歴史ある家系ですから、様々な方々が、我が家の神屋「あさぎ」に祀られている神様仏様のもとに参拝にこられます。その数年間で1000名ほど。幼いころから、なぜこんなにも我が家に人が来て手を合わせて帰っていくのだろうと、疑問に思わなかった日はなかったです。

親戚のおじさんが書き残した我が家の歴史

私の祖父の姉の夫に渡久地甚正氏がいます。そのおじさんが書き残した由来記をご紹介します。

「満名上の殿内」由来記  渡久地甚正 記(平成2年11月)「満名上の殿内」は昔から北山仲今帰仁城主直径の末裔だと言い伝えれれて来ている。
然し、その証となる文献は何一つ残っていない。物件としては戦前までは、刀剣、衣類など(後出)が、いくらか保存されていたが、太平洋戦争でことぼとく灰燼に帰して了った。
世の中で消えることなく云い伝えられて来ている口伝というものは、物証はなくても、真実であることが多い。
特に所謂、伝説や説話といった類のものではなくて、歴史の一部として、その家系や巻間に言い伝えられているものには真実であることが多いのである。
戦前仲今帰仁関係の末裔たちが集って今帰仁城跡で祭を行うとき「満名上の殿内」から出て行く祝女(ノロ)が最上位に坐していた。それには次の二人の証言がある。(一)仲程カマド
彼女は上殿内の分家の新門家の次女であり「満名上の殿内」を代表する祝女(ノロ)もつとめた。つまり祝女(ノロ)本人の証言である。(二)渡久地八重子 ※ナンクル並里の祖父の姉
彼女は「満名上の殿内」本家の長女で若いときに度々今帰仁城のお祭りに参加したが「満名上の殿内」の祝女(ノロ)が最上位に席したことを確かに覚えている。以上のことから見ても「満名上の殿内」は仲今帰仁の最も中心になる末裔であることが判る。以下省略。

旧暦の大晦日 ― 火の神様をお迎えする夜 ―

並里家は700年続く家系の流れを受け継ぐ者として、先人たちが守り続けてきた「祈り」と「暮らし」を大切にしています。
2026年2月15日――今日は旧暦の大晦日。「旧の年の夜」です。

この日は、ただ一年が終わる日ではありません。
命の流れを整え、神様と祖先に感謝を伝え、新しい年を迎えるための大切な節目です。


火の神様をお迎えする夕方

旧の大晦日の夕方は、火の神様(ヒヌカン)をお迎えする日
沖縄の家庭では、台所に宿る火の神様は「家族の命・健康・暮らし」を守る存在とされています。

この日、私たちは火の神様が降りてこられるように、7つの階段をつくり、神様を丁寧にお迎えします。
そして「ウムケー(お迎えの供え物)」を準備し、仏壇へお供え。

そこにあるのは、お願いではなく――
「今年も見守ってくださり、ありがとうございました」という感謝の心。

祈りとは、特別な儀式ではなく、
日々をどう生きてきたかを神様と祖先に報告する時間。

静かな空気の中で手を合わせると、
自分が一人で生きているのではないことを思い出します。


そして2026年2月17日は旧暦の正月「旧正月」

旧正月の朝は、とても大切です。
新しい一年の始まりは「朝一番」から。

そのために、旧暦の大晦日には明日の準備を整えます。

供えるものは――
赤カビ(神)
おもち
みかん
すみ(木炭)
花(松・竹・梅)

さらに「どことも」と呼ばれる供え物として、
米・みかん・炭を用意します。

そして家族でいただくご馳走

これら一つ一つには意味があります。
赤は生命力、炭は清めと安定、米は命、花は繁栄。

ただ形をなぞるのではなく、
自然と命の循環の中で生かされていることへの感謝が込められています。


祈りは「生き方」

旧暦の大晦日は、過去を振り返り、心を整え、
「どんな自分で新しい年を生きるか」を静かに決める時間でもあります。

祈りとは、願いを叶えるためのものではありません。
自分の生き方そのものです。

手を合わせるとき、問われているのは――
感謝して生きているか。
命を大切にしているか。
人を大切にしているか。

700年続く家系の中で受け継がれてきたものは、形ではなく「心」。

今年もまた、火の神様をお迎えし、祖先に感謝を伝え、
静かに新しい年を迎えます。

どうか皆さまにとっても、
命が整い、心が整い、あたたかい一年の始まりとなりますように。

ぬちどぅ宝。
(命こそ宝)

※並里家では、旧正月を向かるために、1週間前にとても大事な節目となる祈りが存在します。
その記事が以下のリンクで取り上げています。

祈りがつなぐ、命のバトン〜700年続く祈りの教え〜
https://namisato.jp/prayer-shapes-life/

 

詳しく聞きたい、もっと知りたい、あの時のあの歴史との繋がりは?気になることや伝えたいことありましたら、いつでもコメントお待ちしております。

それではいつものご挨拶

いつでも笑顔で顔晴ろう
ちばりよーーー(がんばろう)
なんくるないさー(なんとななるよー)

笑顔と承認の力で世界を明るくする男
元中学校教師でシングルファザー
愛と調和の薪割職人
アースファーマー(地球農人)
ナンクル並里
たーだーでした。

またお会いしましょう!!!!

北山王の末裔34代目:祈りは生き方 ― 700年続く家系が伝える沖縄の祈りと命の教え” に対して15件のコメントがあります。

  1. 浦崎直明 より:

    こんにちは。私も本部町出身の琉球史に興味あるオジーで生まれは具志川…現うるま市ですが育ちも心の故郷も本部町です。宜しくお願いします。
    安博先生は祖父様でしょうか?私が学生時代の本部町長でご活躍なされていました。そして奥様のひろこ先生は 直接教えられた事はないですが 小生の小学生時代の先生でした。曙美さんは一つ下の高校時代の後輩で山口百恵にソックリの美人で しかもスポーツ万能 才色兼備の彼女でした。
    高校で生徒会活動で一緒に活動していて ある時活動で遅くなったので曙美さんをお宅迄 仲間で送った事がありひろこ先生からスイカ🍉をご馳走になった事がありますよ。康文(康史?)さんは大学時代の後輩でナイスガイの好青年!
     並里家のご先祖様についてはずっと以前から知っておりました。次回はその関係のお話もできればと思っております。

    1. 康忠並里 より:

      こんにちは。温かいメッセージをありがとうございます!

      本部町をご縁に、こんなにも深くつながりがあったことに驚きと感動でいっぱいです。
      安博は祖父で、ひろこは祖母になります。昔お世話になった方々から、祖父母や家族の思い出話を伺えるのは、本当に嬉しく、ありがたい限りです。

      曙美おばさんのことまで覚えてくださっていて…!高校時代のエピソード、スイカをご馳走になったお話など、とても心があたたかくなりました。
      康文は僕の父です。

      そして、先祖のお話にも関心を持ってくださっていたとのこと、感謝いたします。ぜひ次の機会に、ゆっくりお話をお聞かせください。今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

      nankuru@namisato.jpが代表メールアドレスとなっていますので、よかったらご連絡いただけますと幸いです。

      1. 浦崎直明 より:

        お久しぶりです。
        同郷の並里さんのご活躍の様子 楽しみにしております。
        私は高校卒業後 本部町から離れ 那覇市に移り住み50年余になります。現在「琉球歴史を語る会」というグループラインを主宰しておりますのでぜひご参加ください。帰省予定がある時はお知らせください。伊野波満名の並里家をお詣りしたいと思います。
         私のメールアドレスを記しておきます。
        puqi7@yahoo.co.jp
        浦崎直明

        1. 康忠並里 より:

          お久しぶりです。温かいお言葉とお誘い、ありがとうございます。
          本部町を離れられてから50年以上とのこと、それでもこうして同郷でつながれるご縁がとても嬉しいです。
          「琉球歴史を語る会」にもぜひ参加させていただきたいと思います。帰省の際は、伊野波満名の並里家にもお詣りできれば幸いです。
          後ほど、直接メールにてご連絡差し上げます。

          1. 浦崎直明 より:

            浦崎です。
            私は琉球古典音楽を嗜んでおり今年10月に本部町で、11月に国立劇場おきなわで独演会をさせていただきます。その大きなテーマが「北谷真牛金」通称北谷モージー という歌の物凄く上手な女性「北谷城主の 或いは北谷城の侍大将の愛娘」が北山王に請われて今帰仁城に教育係として招かれ
            数年後北谷城に戻る途中立ち寄った伊野波満名の人情 風物に魅せられそこで更に数年を過ごす事になります。北谷モージーは初め伝説上の女性と思われていたのですが実在の女性だと判明し 彼女を世話したという屋号 北谷屋(現 城間家)も存在します。
             前置きが長くなりましたが
            北谷真牛金が伊野波満名で過ごして北谷に戻る迄を表現した創作舞踊が目玉演目になっています。踊り手は伊野波出身の若手、いや もうベテランの域に達しているでしょう 琉球舞踊会期待の踊り手が務めます。
            北山王縁の並里さんにもぜひ観て頂きたい創作舞踊です!

  2. 並里さん、はじめまして。
    今年に入って、ひょんな事から、私の実家の仏壇から金城家門中系図なるものが出てきて、それにはマンナルンチの系図を借りて、子孫のために書き記したと言うような事が書かれており、色々知りたくて、調べてるうちに、このサイトに出逢いました。
    この間、並里神社に伺いましたが、工事のおじさまに、並里さんは会議のため本日は不在です!と言うことで、帰りました。
    色々聞きたい事など、たくさんあるのですが、今度またお伺いした時でも、お話しする機会があれば幸いです。

    1. 康忠並里 より:

      砂川さま

      金城家門中の流れなんですね。いろいろ話聞きたいです。並里神社にいらしたんですね。
      ご縁がありましたら、いつでもお声がけください。
      僕も学んでいる最中です。
      ぜひ、お話聞きたいです。
      よろしくお願いします。

  3. namisato より:

    同じ苗字の為、ここのブログに辿り着きました。非常に興味深いです。定期的にまた見にきますね!

    1. 康忠並里 より:

      コメントありがとうございます。
      いつでも遊びにいらしてください。
      並里の歴史を紐解くのはなかなか面白いみたいです。

  4. 大城洋子 より:

    今回検索していたら縁あって拝見することができました。私も北山王の子孫だと聞かされてます。
    英祖王次男湧川王子系最後の攀安知王の子喜屋武久子の子孫と言っても福増門中さんの関係でも無いので詳しいことは分かりませんが、私にとっては誇りです。並里さんも初めましてですが、とても親近感感じます。これからも家系を大事に繋げてください。すみません、ネットよくわかりません、最後のサイトがわかりません。

    1. 康忠並里 より:

      大城洋子さま

      初めまして。
      ご縁のあるコメントいただきありがとうございます。とてもうれしいです。
      きっとどこかでつながっていますね。私どもは中北山系の北山王といわれています。攀安知王の上の王系ですね。英祖王次男湧川王子系統であることには変わりないですね。いま、我が家は老朽化により建て直し中です。もし本部町にお立ち寄りの際は手を合わせていただけますと嬉しいです。
      最後のサイトはYouTube動画です。見れなかったですか?チェックしてみます。
      もし、YouTubeを見ることができるのであれば、満名上殿内の旧正月、と検索いただけますと、その様子が配信されております。どうぞ、よろしくお願いします。

      1. 大城洋子 より:

        返信いただき感動してます。ありがとうございます。YouTubeも拝見できました。ご先祖様,神様と感謝の心で繋がっていますね。簡素化の時代忘れている大事な事を思い出させる素敵な映像でした。私が一人で長距離運転とかできないので姉達を巻き込みぜひ手を合わせる機会を作りたいです。
        その時は宜しくお願いします。🙇

        1. 康忠並里 より:

          大城洋子さま
          ぜひとも一度、お越しくださいませ。
          お待ちしております。

  5. 石堂明美 より:

    大変興味深い内容でした。自分は今帰仁村今泊の出身です。現在名護市に在住しており今まさに今帰仁王子の事について調べている所出合いました。ある植物が首里城から伊豆味に渡った経緯を調べていく中で伊豆味以外でその植物が見つかったのです。なぜ都落ちした武士が持ち込んだと伝えられている物が今帰仁城址の下区で見つかったのか?
    歴史とはパズルみたいなもので出来上がった絵図は綺麗に整っていても その周辺の溝は深く見えないものです。明治時代の出来事なのですがそれ以前の本部、伊豆味、今帰仁の歴史的関係が300年後も影響したのではないか妄想を検証している所です(笑)

    1. 康忠並里 より:

      石堂明美さま

      読んでいただきそしてご丁寧にコメントまでいただきありがとうございました。今帰仁村今泊出身なのですね。今帰仁城の歴史につきましてはいまだにわかっていなこともあり、僕もとても興味がある分野です。ぜひ、石堂さんのお調べになっている今帰仁王子についても教えてほしいです。私の受け継いでいる家系図にも今帰仁王子の名前が記載されております。
      伊豆味に伝わった植物のことも聞いたことがあります。伊豆味は琉球王朝時代に重宝された土地だとも聞いたことがあります。本部、伊豆味、今帰仁の歴史的関係が300年後も栄養したのではないか、大変興味深い考察です。そしてなんとなく共感できる感覚です。ぜひ、機会がありましたら、我が家を訪れていただけたら嬉しいです。お会いできる日を楽しみにしております。

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