アースファーマー
(地球農人)ってなに?

なんくるなみさと
はいさい!
アースファーマー(地球農人)とは何を隠そう、沖縄生まれの薪割り職人ナンクル並里自身の事です。2020年11月に屋号アースファーマー(地球農人)として活動を始めました。
地球に寄り添う丁寧な暮らしと真心込めた仕事を極めるため今日も一太刀「ありがとう」と薪を割っています。

モットーは、笑顔と承認の力で世界を明るくする事

思いがありすぎて情報量が多くなってしまいましたので、年表にまとめました。

ナンクル年表

1985

なみさとやすただの歴史

ナンクル、現世に降臨

沖縄県北部、巨大なジンベイザメが悠々と泳ぐ美ら海水族館で有名な本部町で、並里家の第一子として、生を受ける。
3男1女の4兄弟

1998 – 2000

なみさとやすただの歴史

中学校入学

野球部と剣道部を兼任し、期間限定で陸上団にも所属。2年次には沖縄県夏季総合体育大会優勝!野球で沖縄一!
3年次には生徒会副会長を務める傍ら国頭地区中学校陸上大会で総合優勝。
PTA連合が主催する沖縄県意見発表大会に「感謝の心をいつまでも」というお題目で参加し最優秀賞を獲得!意見でも沖縄一に!

2001 – 2003

なみさとやすただの歴史

沖縄県立名護高等学校入学

現在もライフワークのひとつになっているラグビーを始める。
3年連続で全国大会(花園)に出場。ラグビーで沖縄一!3年次には主将として花園で選手宣誓を敢行。
名護市青少年の主張で北部地区で最優秀賞を受賞。 題目は「親と子」。

2004 – 2008

なみさとやすただの歴史

名桜大学国際学部国際文化学科入学

ラグビー同好会からラグビー部を立ち上げ、わずか一年で九州大会出場を果たす。
アメリカ合衆国オレゴン州ニューバーグのジョージ・フォックス大学へ留学。
小学校教諭とALTの通訳、授業の補助として名護市内の小学校英語教育に携わる。
九州ラグビー協会公認B級レフリー資格を取得(当時の沖縄県の学生では初)。



2009

なみさとやすただの歴史

父、急逝

23歳の若さで一家の大黒柱に。リトルダディーとして、母を支え、弟妹の力となる。

中・高一種英語教諭免許取得

公立中学校英語教諭(臨時的任用教諭)となり、地元の本部町立本部中学校へ赴任。教育者としてのキャリアが始まる

2017

なみさとやすただの歴史

結婚

教員生活9年目。31歳のジューンブライド。

2018

なみさとやすただの歴史

娘誕生

子育てには妻の実家が近い方が良い、という事で長野県への移住を決意。
妻子が先行して長野へ行ったので1年間の単身生活を送る。

2020

なみさとやすただの歴史

生まれ育った沖縄県を旅立ち長野県へ

フィンランド教育をカリキュラムとする山梨県河口湖畔の私立小中一貫校へ赴任するも、娘誕生を期に様々な事を考え10年目にして教壇を降りる。新たなる希望とともに!
教員を辞めるに至った考えはこちら

教員歴10年目で教壇を降りた理由

アースファーマー(地球農人)の始まり

娘が安心・安全で好きを生きていける環境を作ろうと決意
希望実現の近道と思い、長野県諏訪郡原村にある工務店 アトリエデフの薪事業を受託。
薪割り職人になる。



2021

なみさとやすただの歴史

離婚

急展開の並里劇場!当時、娘は2歳。
ナンクルないシングルファザーとしてのアイデンティティを確立

アトリエデフが、未来の子どもたちに、美しい地球を残すために発足した環境事業チーム「環と環」に参画

日本の山を守り育てるため、放置竹林の課題解決に取り組む。
放置竹林の活用を事業化するため、製造責任者として日々竹林整備に万進。
土で創るかまど、アースオーブン(ピザ窯)の施工も担当。

2022

なみさとやすただの歴史

NPO法人絆八ヶ岳ラグビークラブ設立

学生時代に培った技術と教員生活で養った教養経験を活かし多世代交流の場として設立。
「競技性を通して生き方や相手を思いやる気持ち」を養い「世代を超えた活動の居場所づくり」を目指す。

八ヶ岳ラグビークラブの活動記録はこちら

絆八ヶ岳ラグビークラブ

2023

なみさとやすただのNAMISATO.jp

NAMISATO.jp リリース

薪割りや焚き火についての知識や、教育者としての経験、シングルファザーの子育てなど、アースファーマー(地球農人)としての活動を広く知ってもらう為、ホームページを開設。
サイト制作の為に年表(このページ)を作ったり、新ためて考えをまとめたり半生を振りかえるいいキッカケになった。
https://namisato.jp/