努力は正しいやり方と方向性!名護高校ラグビー部で3年連続花園に出場できたワケ

ラグビー夏の聖地、菅平高原

2024年元日、能登半島地震がおきました。
被災された方々には心からお見舞い申し上げるとともに
復興に尽力されている皆様には安全に留意されご活躍されることをお祈りいたします。

100年の歴史あるラガーマン憧れの地「花園」

ラグビーは少年をいち早く大人にし、大人にいつまでも少年の心を抱かせる

ラグビー・フランス代表元主将のジャン・ピエール・リーブが残したラグビー界の名言です。

昨年は、ラグビーワールドカップ20023フランス大会が行われ、ワンチーム(One team)からアワーチーム(Our team)となったとなったジャパンが世界に挑み惜しくも予選敗退となったことも記憶にある方もいるかと思います。

名言も多いラグビー界。「ラグビーやっててよかった」「ラグビーの考え方に救われた」という体験は何度となくあります。この記事は、中高生、学生、新卒、社会人、子育て世代、教育関係者、成長したい方、目標はあるけど達成できないで悩んでいる方の背中を押すきっかけになることができたらうれしく思います。この記事を読んだ後、その人の物事の見方・考え方・捉え方にいい変化がもたらされることになることを心から願っています。どうぞお付き合いください。

こんな方におすすめ

  • 中高生の部活動で頑張っている人
  • 何か目標に向かって歩んでいる人
  • なんとなく入った部活でモヤモヤしている人
  • 子供を応援している保護者
  • 指導されている指導者の方々

僕の心の葛藤や指導者とのやり取り、父親との関係を語っています。いま、夢を追いかけている中高生、保護者、指導者のみなさんにとって、少しでも参考になるエピソードや情報が伝わると幸いです。

僕についてもっと知りたい方は下のリンクから。

アースファーマー(地球農人)とは

名護高ラグビー部で学んだ3選~人生の在り方・考え方~

沖縄県名護高等学校ラグビー部に3年間所属しました。

お陰様で僕が在籍していた当時、名護高校ラグビー部は、
81回(2001年)、82回(2002年)、83回(2003年)大会で3年連続、高校ラガーマン憧れの地“花園”に出場することができました。

ラグビーを通して、正しい方法と方向性をもって努力をすれば、必ず結果は報われる、形になることを学ぶことができました。名護高校ラグビー部に所属していなければ、今のボクは絶対にいない、と断言できます。それほどまでに濃い3年間を過ごしたのです。

僕自身の今の在り方・考え方の基本となるものです。

正しい方向で、正しいやり方で、正しい努力をしていれば、結果はあとからついてくる

人生はすべて選択の連続である

チームのために仲間のために大切な人のためにできることをやる

ラグビーを通してそれ以上に多くのことを学びました。そして、それらは今の僕の考え方の基礎として繋がっています。

努力の上に花は咲くが、努力したことが必ずしも実ることはない

「努力は必ず報われる。だから、我慢して努力をすることが大切だ」

と、教えてこられました。しかし、それは早々に打ち砕かれました(笑)

小学校のマラソン大会という行事があり、負けず嫌いの僕はマラソン大会の2か月前から毎年練習していました。朝起きしてジョギングして、放課後は少年野球の活動を通して体力をつけていました。結果は1年生50位、2年生46位、3年生42位、4年生39位、5年生25位、6年生6位でした。我ながらよく覚えていたなーと感心しましたが、それほど悔しかったのでしょう。一方で僕と同じように朝も走り、野球の活動をしている友達は、2年生~6年生までずっと1位という座を守り抜いていました。当時の僕は「これは才能だ、努力しても勝てないものは勝てない」と、決めつけてしまい、長距離というものに対して強い劣等感を持ったことは事実です。

中学に進み、野球部に所属、期間限定で陸上団にも入り、野球と陸上の中学時代を過ごしました。陸上では迷わす短距離を選びました。低身長で筋肉質な僕の強みは「スタートダッシュ」。個人競技では僕の出番はないと分析した僕は、とにかくリレーメンバーとして出場して、「スタートダッシュを極めよう」と、自分の得意なところを伸ばそう、と取り組みました。結果は3年連続でリレーメンバーに選ばれ、うち2年間は第1走者に選出されました。

なぜ、中学生の僕がそのような考えに至ったかというと、「父」の言葉が大きかったです。

ゴールを間違って設定していては、正しいことをしても、目的は達成できないよ。

ん。。。。。親父、何を言っているのか?

元教員でシングルファザーのアースファーマー(地球農人)ナンクル並里の父

続けて親父は語りました。

たとえば、100m走とマラソンでは、走り方も練習方法もまるで違うよね。100mのゴールを目指しているのに、マラソンの練習をしていては、どうかな?

チームに貢献できるためのたーだーの強みは何かな?

いつも答えは出してくれない親父。投げかけてあとは考えろ。当時の僕は何を言ってんだ。と心に思いながらも、父の言葉を受け止め、自分なりに考えて行動に移しました。

グランドに入れば、プレイヤーがすべてを決める

野球は監督のサインがあり、サッカーは監督がベンチから選手に指示が出せ、バレーやバスケットはタイムアウトがあり、条件次第では、ベンチとプレイヤーとのコミュニケーションが取れます。しかし、ラグビーはベンチとコミュニケーションを取れるのはハーフタイム(前半後半の間の休憩時間)のみ。そうです。状況をとらえ、グランド内でプレーヤーが自ら判断してゲームを進めていくしかないのです。

目的・目標を設定する、状況を読む、どうしたらよいか、考え導き出す。そして実行する。振り返り、目的・目標を再設定する、状況を読む、どうしたらよいか、その繰り返しが、ラグビーという競技で大切な要素でした。日頃から鍛えていないと養えない力です。

ラグビーは、やってきたことの範囲でしかゲームでは表現できないといわれており、大番狂わせがほとんどない完全なる実力の世界です。実際、そうだと思います。やってきたこと以上のミラクルは起きにくく、想定外のことが起きると統率できなくなることがほとんどでした。そうです。どんなに努力や取り組みをしてきたところで、やってきた分が、結果として現れるのです。
高校三年間、僕は父のあの言葉の真の意味をラグビーを通して答え合わせができました。
そして、こんな言葉と出会うのです。

「考える労力を惜しむと、前に進むことを止めてしまうことになります」

伝説の野球選手、イチロー選手の格言の1つです。

努力が報われない、努力したって意味がない、ではなく、「なぜ、結果がでなかったのか?」「なぜ、うまくいったのか」
望んだ結果も望んでいなかった結果も「なぜ」をいう理由を問いかけ考え、実行すること。これを僕は「努力」という定義にして、高校3年間、ラグビーと向き合ってきました。それは今でも変わりません。いまでは、気づきのきっかけを与えてくれた、父の姿勢や投げかけに、心から感謝しています。

人生はすべて選択の連続である

人生とは選択の連続だと学びました。

例えば、

朝目が覚め、起き上がるか、二度寝するか、も選択

パンにするか、ごはんにするか、も選択

続けるか、やめるか、も選択

告白するか、しないか、も選択

大なり小なりありますが、生きていくうえで私たちは数ある選択肢の中から一つを自分で決めているのです。
実は、そこに正しいとか正解はなく、自ら選択した道を納得して進んでいくことが大切だとラグビーを通して学びました。

ラグビーは15人対15人で競技が行われます。
それぞれの役割があり、ひとりでもかけてしまうと、そこに穴があき、14人が1人の穴を埋めるため、必死になります。そこで、選択が迫れれます。倒れた時、自分の穴をほかの仲間が埋めてくれてる。「しばらく休もう」「いや、ここはとにかく早く立ち上がろう」。あなたならどちらを選択しますか?どちらを選択しても悪いということはないです。ただし、前者を選択するプレーヤーがいるチームと、後者を選ぶプレーヤーがいるチームでは、当然ですが、勝ち負けへの影響やプレーへの影響に違いはできてきます。自分自身のチームがどこを目標としていて、何を目指しているか、で選択基準というものは変わってくるものです。

例えば、甲子園常連校で甲子園を目指しているチームと、とにかく野球を高校3年間楽しみたいチームがあるとします。想像してみて下さい。きっと、それぞれチームによって、求められるもの、練習方法、望む姿勢も変わってくるはずです。野球を楽しみたい選手・チームにいくら名監督と言われている方が指導していても、響くものとそうではないものが出てくるはずです。逆もしかりです。甲子園を目指しているので休みはいらない、甲子園に行けるのであれば、何でもやります。というチームに、野球の知識もなく休みがちなチーム体制だと、どうでしょうか?相互に目的や目標がそろっていなければ、選択肢があっても、望む選択、納得いく選択ができないということです。

僕が高校3年生の時のエピソードです。
チームメイトの1人にずば抜けた才能と体格と人間力のある仲間がいました。後にラグビートップリーグの宗像サニックスブルースで13年間、プロのラグビー選手として活躍した選手となります。※以下、彼のことをH君と表します。

そんな彼のポジションをめぐる先生(監督*以下先生と表します)の選択とプレーヤーの選択の主張のぶつかり合いの話です。
振り返ると先生の想いや先見の目は「さすが」というものです。ここでは、正しさより、先生、選手が納得した選択を決断した、その結果、3年連続花園という切符を手に入れることができ、遠回りはあったけれども、プロラグビーという道に進むことができた、という事実がここにある、ということです。

ラグビーには大きくわけて2つのポジションがあります。
ひとつは、体の大きい選手が適しているフォワード。
もうひとつは、足が速く俊敏な選手が適しているバックス。

先生の想いは、H君をバックスで採用したい。その考えは、高校日本代表候補に選出される可能性が高く、その世界にH君を送り込みたい。
H君の想いは、チームの勝利に貢献するために、フォワードでプレーしたい。多くのプレーの局面に関わることができ、このチームにおいて、自分はフォワードのポジションにいることが最適だと考えたのでした。

主将として、双方の方向性と考えを知っていた僕は、当時、結構悩みました。そんな中、迎えた新人大会沖縄県予選。初戦は勝利したものの、まったく喜べない試合内容に、先生はイライラ、選手ははモヤモヤ。このままだと誰も報われない、と思ったので、僕は直談判するという選択をするのでした。H君の意志とチームの思いを確認したのち、H君にも同席してもらい、僕から(チームの意向として)先生に伝えました。
先生の思いも改めて本人そして僕にもチームにも伝えてくれて、そのうえで、「僕たちはこのチームの最善としてH君をフォワード(核となるポジション)にいてほしいのです。」と純粋な思いを伝えました。
偉大なる我が恩師は、「わかった。そこまでチームの事を考えての事なら、その思いを尊重しよう」と、双方が納得のいく選択を同じ思いで選択することができたのです。

結果は言うまでもなく、その後の大会では負けることなく、インターハイ県予選5連覇、花園県予選4連覇を果たすことができました。卒業してから、先生とお酒を交わす機会があり、その時先生が、「先生(監督)に、意見したのは後にも先にも、あんた(ナンクル並里)だけだよ」と、本音をこぼしてくれました。

当時の僕は無我夢中でチームの為に、自分ができることを考え行動していました。振り返ると恐れ多いことをしたなぁ、人の人生も巻き込むようなことをしたなぁ、思う時もあります。伝えるのも地獄、伝えないもの地獄、どっちも怖いな、辛いな、楽な道は、見てみぬふりをする。でしたが、勇気を出して先生伝えることができたことは、結果としては、よかったと今では思えます。

そのときに出会った今でも大切にしている言葉を紹介します。

辛い時こそ 辛い選択をする

当時の早稲田ラグビー部が掲げていた言葉です。この言葉に背中を押され、僕の思いを、H君の思いを、チームの思いを先生に伝えよう、という行動をとることができました。ラグビーと出逢わなければ、こんな経験はできなかっただろうな、と思っています。

チームのために仲間のために大切な人のためにできることをやる

みなさんは、この言葉を知っていますか?

One for all,All for one〜1人はみんなのために、みんなは1人のために〜

ラグビーといえば、この言葉!!!!といっても過言ではありません。まさにラグビーを表す言葉です。
しかし、この日本語訳。本来は、違う意味を持っていることを知っていましたか?

語源としての意味は

1人は全員のために、全員は1つの目標のために

という意味だそうです。

僕はどちらも捉え方としては大切な要素を持っていると思うので、使え分けていいかな、と思っています。
選手15人にそれぞれ与えられた役割があり、自分がやるべきこと、自分のいまのベストを尽くし、それがチームの為になる。仲間が倒れたら、その分のカバーをする。目標や目的のために自己主張する。受け入れる。話し合う。ぶつかり合う。認めあう。常にベストな状態でゲームに臨む。命を懸けて、グランドに立てない仲間の思いを背負い、自分を表現する。いろんな辛い思いもいてきたけど、必要なことを何百回、何千回、何万回も繰り返してきたことを出し切る。そんな思いがあるからこそ、試合に涙があるれ出てくる。自分への信頼、仲間への信頼、いろんな思いを乗せて、「1人はみんなのために、みんあは1人のために」「1人は全員のために、全員は1つの目標のために」を自分のベストを尽くす。ラグビーを通して、僕が最も大切にしたい要素です。

信は力なり~自分の知らない強さを仲間は見ていた~

高校3年生の5月。毎年恒例のゴールデンウィークの長崎合宿でのことです。
僕は*スクラムハーフというポジションを後輩と争っていました。*フォワードとバックスを繋ぐ役割のポジション
スクラムハーフに必要な要素は、パスがうまい、判断力がある、体力がある、ゲームを作る核となるポジションになります。サッカーでいえば、司令塔、バレーでいえば、セッター、バスケットでいえば、ポイントガード、野球でいえば、キャッチャーといったところでしょうか。

当時の僕は、パスもダメ、体力もない、判断力も大してなく、ゲームを作るどころか壊す始末。なんで僕がこのポジションなの?役割としては好きだけど、チームに迷惑かけてるじゃん、と思う一方で、俺のポジションはここしかない、俺がチームを動かすんだ、まとめるんだ、いいところ見せるんだ、という自分のプライドと自分の技術のない現実がぶつかり、まったくチームの事を考えていませんでした。

そりゃ、チームの雰囲気も悪くなるし、自分にも腹が立つし、先生には詰められるし飽きられるし、後輩はどんどんうまくなるし、やる気もなくなるし、けど自分はキャプテンだっていう勝手なプライドと責任感があるけど、考えていることは自分の立ち位置をなんとか厳守しなきゃ、と自分の事ばかり。最悪な合宿の前半を過ごしていました。

ここで僕を救ってくれたのは先生の行動と仲間からの信頼、そして父の言葉でした。

僕を救った先生の行動

どん底だった僕の事を見かねた先生は、合宿中盤、僕にほぼすべてのポジションを経験させるのでした。建前は、ケガや故障、個々の体力に合わせて休ませたりする穴をすべて僕が代わりに出場する、という行動に出たのです。これは僕にとってものすごく大きな経験となりました。仲間の視点、外から見た僕のポジションへの感じ方、何よりチームの為に自分が何ができるのか、このゲームで何を試したいのか、仲間が何を求めているのか、そうです。仲間とのコミュニケーションがゲームの中で増えていったのです。僕に足りなかったことは、仲間とのゲーム内外でのコミュニケーションでした。自分がどうしてほしいか、仲間がどうしてほしいか、チームとしてどこを目指しているのか、自分の事ばかり考えていたことが、なんて遠回りなことをしたのか、自分の中で抱えて塞ぎこみ、仲間をまったく信頼していなかったことに気が付くのでした。それからはゲームが楽しくて、純粋にラグビーを楽しみ、チームに貢献するために自分ができることに考えを向けることができました。仲間も先生もそんな僕を暖かく時には厳しく見守り寄り添ってくれました。それがとても心強く嬉しかったことを覚えています。僕も僕のように悩んだり行き詰ったりしている仲間がいたら、見守り寄り添いたい、と思うようになったのはこのころからです。

僕を救った仲間からの信頼

合宿中はチームにとても迷惑をかけた僕でしたが、誰一人責めたり仲間外れにしたり、嫌味を言う仲間はいませんでした。それどころか、グランドの中ではプレーに対して厳しい言葉はあるものの、グランド外では、優しくいつものように接してくれる仲間、楽しく過ごしてくれる仲間、僕という人間をありのままに受け入れてくれる仲間の存在が何よりも心強く暖かく、最悪だったこの合宿を乗り越えることができたのも、僕を信頼して僕の事を見守り寄り添ってくれた仲間の存在のおかげだと今でも思っています。かけがえのない仲間を僕はラグビーを通して作ることができました。いまでも集まるときは楽しい時を過ごしています。みんな立派におじさんになっています(笑)

ずっと疑問だったのが、なぜ仲間は、へたくそな僕が主将でも納得したのか、ついてきてくれたのか、ということでした。
卒業してわかったことですが、準備片付けや先生や関係者とのやり取り、自分たちの思いを伝えてくれたり、気にかけてくれたり、見えないところで僕が動いていたことを仲間は知っていたそうです。チームの為に目標の為にブレずに裏方の役割を担っていた僕の行動を見てくれていたのです。この話を聞いたとき涙が出るほどうれしかったです。間接的にきいた話です(笑)

必ず見てくれている人は見てくれているんだな、評価してくれんだな、と嬉しい気持ちになったエピソードでした。

僕を救ってくれた父の言葉

合宿中は、いつも気にかけてメールを送ってきた父。
僕の返信が気になったのか、電話してきて一言。

「たーだーがチームの為にできることはないの?」

僕はハッとさせられました。できないことばかりに目を向け、悩み考えていた僕でした。そうだ、いまの自分にできることを精一杯やり切ろう、と考えを改め、行動しました。結果は先生の思いに応え、仲間の信頼に応え、自分自身を責めることなく、実りある合宿を終えることができました。
お陰様で、合宿を乗り越えた夏のインターハイ県予選では、僕のラグビー人生の中でもトップ3にはいるプレーをすることができました。恩師、仲間、親父の大きな愛に包まれて僕は今の在り方が形成されたんだなと、この記事を書きながら改めて思うのでした。

まとめ

僕が、名護高校ラグビー部で3年連続花園に出場できた3つの「行動」

  • うまくいったことも、いかなかったことも、「なぜそうなったか」を考え、実践したこと
  • 「何のために」を明確にし、主張ではなく、思いや考えの共有、そして納得いく選択をすること
  • 一人で抱え込ない、誰かのために自分かできることを全うする、仲間を信じること

今回は、主に考え方やあり方の内面の要素に着目した記事となりました。
健全なる精神は健全なる身体に宿る、という言葉があるように、精神と肉体は一つであることを僕はラグビーを通して学びました。もちろん、技術的な要素や体力的な要素、環境的な要素をあげれば、きりがないことは承知の上で、人生において最も学んだラグビーの要素は、「考え方」でした。

やったぶんだけ結果は出るという考えは、ある面ではあっていますし、ある面では間違っています。例えば、明日、国語のテストがあるのに、今やっていることは、昨日終わったばかりの数学の振り返り。振り返るという行動はあっていても、明日の国語の結果をだす、という行動とは違う方向性ですよね。そうです。人はやっていることが正しいか、間違っているかで判断するのではなく、何のために行動を起こすのか、どうすれば目標を達成するための方法に行き着くのか、全ては考え方と方向性なのです。
方向性が正しければ、行動も伴い、やったぶんの結果は得られるはずです。あくまでもそれは可能性の問題なので、結論は、「正しい方向性と正しい行動を起こせば、結果はついてくる可能性が高い」というものです。

僕は結果として目標としていた花園出場を叶えるわけですが、上には上がいます。花園での成績は一回戦敗退でしたし、優勝なんて夢のまた夢。そこを目指すまでの「志」は備えていなかったです。だから、優勝するための「努力」というものはなかったです。

人生は思った通りになるということですね。

部活動に精を出しているあなた、携わってる指導者の皆さん、応援し支えている保護者の皆さんのヒントになれたら幸いです。

最後に、
ラグビーと出会っていなけば、先生と出会っていなければ、仲間と出会っていなければ、今の僕はありません。
そして何よりも、僕を信頼して危険と言われるラグビーをやること許し、応援してくれた父の存在に、心から感謝しています。

僕の人生を決めたエピソードも紹介しています。

テレビ漬けだった名護高校ラグビー部主将が教師を目指した理由

本日は、名護高ラグビー部主将だった僕が、花園出場できた理由のお話でした。

いつも笑顔で顔晴ろう
ちばりよぉー
なんくるないさぁ

笑顔と承認の力で世界を明るくする男
NPO法人絆八ヶ岳ラグビークラブ メインコーチ
アースファーマー(地球農人)
ナンクル並里

努力は正しいやり方と方向性!名護高校ラグビー部で3年連続花園に出場できたワケ” に対して2件のコメントがあります。

  1. 初めてコメントさせていただきます!
    大変濃い内容で、考えさせられながら読ませていただきました。
    正しい方向で正しい努力をする、
    一見当たり前のようで、何が正しいのかを判断する材料も
    足りていない人も多いかなと思います。

    これを成し遂げるために、これをやれば良いというのは
    経験したからこそ分かる面もあり
    自分で失敗を重ねながらその「方法」に辿り着くことも大切ですよね。

    また、指導者となる人がきちんと正しい方向に導くことのできる
    知識と技量も必要。

    私自身も奏者であり、教える立場であり
    大変刺さる内容でした!

    人生は選択の連続

    本当にその通りだと思います。

    またお邪魔させていただきます♪

    1. 康忠並里 より:

      笛吹き特使さん
      ブログ記事を読んでいただき、そしてコメントいただきありがとうございます。
      大変励みになります。
      奏者であり指導者をされているんですね。素敵です。日々が気づきと学びの連続のことだと想像します。
      最近学んだことで腑に落ちたことですが
      ロケット開発に取り組まれてきた植松電気の植松努さんの言葉に
      「教育とは子どもたちに安全に失敗をさせることだ」と言われていました。
      本当にそうだと思いました。
      教える立場が良かれと思って引いたレールは、へたしたら諦めることに慣れさせる手法なのかと。
      自責の念に駆られる一言でした。
      人生は選択の連続
      次回の意味も込めて書かせいただきました。
      笛吹き特使さんに刺さる内容と聞けて大変うれしいです。
      ぜひとも情報交換したいです。
      いつでもこのブログに遊びに来てください。
      笛吹き特使さんのお話も聞きたいです。
      あらためて、コメントいただきありがとうございました。

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