52歳で急逝:太く短く生きた父がみせた子育ての在り方
なんくる並里は当時23歳でした。2009年2月11日に父は急逝しました。享年、52歳でした。
父の意志を継ぎ、38歳(2024年現在)のなんくる並里、突き進んでいきます。みなさんの応援が励みになります。
今回は、なんくる並里の父親の子育ての在り方について書いています。僕の子育ての核となる部分に触れますので、ざひとも最後までご笑覧下さい。
以下、僕の父の告別式の際に僕が読み上げた謝辞になります。
故・父は、誰よりも母を愛し、私たち子供を愛し、親族を愛し、郷土を愛し、そして、関係してくださったすべての人を愛し、親孝行・先祖孝行・神孝行の信念のもと、世のため・人のために、全身全霊を尽くしてまいりました。
生前、故人に賜りましたご親切に、心から感謝申し上げますとともに、今後とも、私たち遺族への変わりなき厚情を賜りますよう、お願いいたします。
Contents
地域の子を育てることが、我が子を育てることに繋がる
父はとにかく子煩悩でした。
地域行事やPTA活動は参加どころか超積極的に活動、新しい風を吹き起こし、学校の先生たちの最強のサポーターになり、時には学校の体制に苦言を呈したりと、とにもかくにも僕たち子どもの為に、そして自分が楽しむために活動していました。
ここでクイズです!!!
PTAとはなんの略でしょうか???
正解はparent‐teacher association です。
辞書よれば
父母と先生の会。家庭と学校とが協力し合って教育効果をあげようとする、学校単位に結成された教育組織
とあります。
ところが!!!!!!
父のロジックは違いました。
父のもつPTAの答えは
P ぱっと
T たのしく
A あつまろう
「子どもたちの教育活動を通して、親、学校、地域が楽しくハッピーに活動してくことがPTAです」と、どんな場面でも、どや顔で伝えていた幸せそうな父の顔を今でも覚えています。
僕もそんな父の在り方に影響されて今があります。
父は2008年2月11日に急逝しましたが、父の告別式には約1,000名以上の参列者が集まりました。
何よりの嬉しく、父の生き様が現れたのが、ナンクル並里4兄弟のそれぞれの同級生や友人、仲間の姿が多く見られたことでした。僕たちだけでなく、関わる全ての子どもたちへ尽くしてきた父の気持ちを受け取ってもらえていたんだ、と父の遺影を眺めて涙して嬉しく笑った時のことは今でも鮮明に脳裏に蘇ります。
ナンクル並里の父における子育ての在り方
ようやくようやくナンクル並里を育てた父の子育ての在り方をご紹介します。実は、そのことを題材にを高校時代にナンクル並里そう僕が作文にしています。当時の僕と父の関係性を綴った内容となっています。当時のリアルなやり取りをどうぞ、ご笑覧いただき、子育て中の父、片親、子どもとの関わり方を模索している方の、解決の糸口になれることを期待します。どうぞ、あともう少しナンクル並里にお付き合いください。
題 「親と子」 並里康忠(高3)記 平成15年(2003年)某日
「お父さん・お母さん」「父さん・母さん」「父ちゃん・母ちゃん」「おっとう・おっかあ」「オヤジ・オフクロ」
親子には様々な呼び方があります。そして、たくさんの形があります。
僕の家の家族構成は、父、母、僕(長男)、弟(次男)、弟(三男)、妹(長女)の六人家族です。
いつも会話が絶えない明るい家族です。また、親子での会話も毎日のようにあり、お互いの悩み、今日あった出来事、自分の生き様などを話し合ったりします。
しかも、それは意識したり、強制されることもなく、自然とそうなっているのです。
最近では、父とのやりとりが多くなっています。進路のことも含め、その後のこと、また父が今どういうことをやっているのかなどを、僕が理解できる程度のことを話してくれます。
父にとってはそれが普通~両親を信頼する理由(ワケ)~
父は、僕がやっているラグビーのことでも相談にのってくれ、アドバイスもおくってくれます。幾度か助けられたこともそう少なくはありません。
父いわく、
「それが普通だ。」といいます。僕も幼いころからそうしてきているのでそれに対しては抵抗はありませんでした。
両親をそこまで信頼する理由(ワケ)は、僕が小学五年生(1996年)の時に遡ります。
当時僕は、少年野球チームで野球を中心に剣道も習っていました。ある日、剣道の検定試験と少年野球チームの練習試合が重なったことがあったのです。僕は少年野球は公式戦ではなかったので、剣道の検定試験に行くことにしました。しかし、野球チームの仲間の一人から電話がきて、
「お前野球に来ないと死なすよ」と言われどうしていいのかわからなくなり、泣きだして母に相談しました。すると母が、
「お父さんに相談しましょう。」とやさしく言ってくれました。
僕は両親がチームメイトを説得してくれると思い安心していました。しかし父は、
「これはたーだーとチームメイトのことだから、自分たち親がでるべきではあいし、ここで仮に自分たちがでても、たーだーのためにもそのチームメイトにとっておお互いによくない。」と言いました。そして最後に一言、
「たーだーは別に悪いことはしてないんだろ、だったらスジを通さないとな、その人に、そいうことだったら野球チームをやめるしかないです。とたーだーの口からそう言いなさい。もし、それでたーだーが納得するならね。」
※死なすよ→沖縄の感覚では「泣かすよ」という意味合いで使用することがある
僕はすぐに実行しました。すごくすっきりした気持ちになり、そのうえチームメイトの人も、僕の事を理解してくれました。今でもその人とは仲がいいです。それが、僕が父を尊敬するようになったきっかけです。
獲物の捕り方を教えてくれた父
その父が、口癖のように僕に言う言葉があります。
「問題が起こることは別に悪いことではないんだよ。その起きたことに対してどう向き合うかが大切だ。」と。また、両親は僕に、自分自身で解決できるように導いてくれます。
最近は、子どもの世界に親が介入しすぎではないでしょうか。何か問題が起きたりすると、すぐに責任問題にしようと、親がしゃしゃり出てきて、余計にややこしくしたりすることがあります。よくある例ですが体罰問題です。もちろん暴力は悪いです。しかし、その子のためだと思うなら、平手一発は必要な時もあると思います。それを親が理由も聞かず、殴った人を訴えたりすることがあるのです。その前に、何が正しくて、どうすべきかを親が考えるべきではないでしょうか。誰でも自分の子供はかわいいと思います。しかし、親がでてきて事を納めるということは、子供から成長するチャンスを奪い取っているだけに過ぎず、単なる親の自己満足にしかならないのです。それを子供も勘違いして、問題が起こると親を頼り、その時はうまくいったように思いますが、何の進歩もありません。やはり、当事者同士で解決するべきではないでしょうか。僕の両親のように、どうすれば解決できるかを真剣に考え、当人の力でこの壁を乗り越えることができるように、手を差し伸べることが本来親の役割なのではないでしょうか。
※暴力は、どんな理由があっても絶対にあってはいけない、というのは今の考え方です。
※ここでお伝えしたいことは、課題解決力を親子で向き合い、親はエサを子に与えるのではなく、獲物の捕り方を教える、またはその環境を与える、ということが、親として教育者として、上司として、子供や生徒、後輩や部下と向き合っていくことが大切ではないか、というなげかけです。
子供は親のやっていることを真似する生き物~親の言っていることは聞きません(笑)~
僕の好きな詩にこんな言葉があります。
「親子とは、子供の気づかいから」
僕はこの詩と出会ったとき、親子とは真にそれだと思いました。
今の親は、子供に気をつかい過ぎだと思います。父が「今は、365日子供の日だ。」と言います。それを言われたとき、確かにそうだなと納得しました。今の子供たちは、家の手伝いもしなければ、自分のやりたいことばかりやっている気がします。もちろん、ちゃんとやっている人もいますが、そうでない人が多いことも嘘ではありません。そういう子供たちの大抵は、親が甘やかせいたりすることがほどんどなのです。子供ができることはさせるべきです。教えれば子供はすぐにできます。それを親は、なぜさせないのでしょうか。僕は不思議でなりません。また、僕たち子供は、この世に生んでくれた親に、もっと感謝すべきです。親に文句言えるのも親がいたからです。
子供は親を選べません。だからこそ、自分が生まれた意味を、毎日の経験を通して学んでいくことが大切なのではないでしょうか。
そして親ができることは、たったひとつです。子供に説明のつく生き方をするのです。
簡単に言えば、子供に背中を見せればいいのです。必ずしもこれでなければならないと決める必要はないのです。そして僕たちは、それぞれがオリジナルティーをもち、素直な心を持つべきだと思うのです。それは、自由という意味を勘違いした今の僕たちが、もう一度考えるべきテーマではないでしょうか。
並里康忠の中で見え続けている父の背中
僕は、父の背中を通して、真っすぐ生きることと、逃げすことなく何事にも立ち向かう勇気を学ぶことができました。
これからも僕は、両親の背中を見続けることでしょう。そして、いつまでも自分らしさを求めて生き続けていきたいと思います。
親になって今思うこと
いかがでしたでしょうか?
なかなか生意気な高校生の主張でしたね。今読むと過激な発言もあります。
実はこの主張、誰にあてたメッセージだったかというと、同世代にむけての主張でした。親の在り方を説いているように思いますが、僕も含めた子供という立場の非養育者の在り方を説いた意見文です。一番伝えたかったことは、「親に頼るな、自分で動こう。そして生んでくれたことに感謝しよう」でした。そう、自分に言い聞かせた主張だったのです。あと、これは完全に裏話になりますが、この作文、国語の課題の一つでした。勘のいいみなさんなら気づけましたね(笑)。そうです、課題を提出するためだけに書き始めたのがきっかけでした。
書き始めると、不思議なことが起こりました。自分の中にある父親像が明確になっていくのです。そして、当時の僕の感情や考えていることを言語化すると、自分が父親だったり、自分が担任の先生だったり、自分が顧問だったら、自分が校長先生だったら、こうしたい、こうしよう、もっともっと子供や生徒、悩んでいる人や頑張っている人に、「丁寧に寄り添える自分でありたい」、ということです。実際に父親になって、シングルファザーになって表現できるようになった2023年師走のナンクル並里です。父とのエピソードは数えきれないほどあります。今の僕の子育てや生き方に大きく影響を与えた父の生き方、考え方を、ナンクル日記を通して、多くの子育て世代の方々にお届けしたいです。皆さんの子育てに少しでも寄り添えることが僕の喜びです。ここまでお付き合いいただき感謝いたします。
またお会いしましょう!!!
詳しく聞きたい、もっと知りたい、あの時のあの発言の真意は?気になることや伝えたいことありましたら、いつでもコメントお待ちしております。
ご意見、ご感想、質問等、コメントいただけると嬉しいです
いつでも笑顔で顔晴ろう
ちばりよーーー(がんばろう)
なんくるないさー(なんとななるよー)
笑顔と承認の力で世界を明るくする男
元中学校教師でシングルファザー
愛と調和の薪割職人
アースファーマー(地球農人)
ナンクル並里
たーだーでした。
またお会いしましょう!!!!